太平洋戦記

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※ストーリーには結末の記載を含むものもありますのでご注意ください。

ストーリー

−−昭和十二年七月七日蘆構橋事件から日華事変の火の手が挙った。上海・南京と日本は侵略を続け、十月武漢・三鎮陥落、十四年十二月南昌占領と日本は戦争を長期化させ、果てしのない泥沼へはまりこんで行った。汪精衛政権の樹立、重慶への物資ルートを断ったためのビルマ“進駐”などが、アメリカ、イギリス、フランスの対日感情を悪化させた。日本国内では、“大東亜新秩序建設”のうたい文句で、一党独裁政権が成立し、国家総動員の“聖戦”体制を確立した。連合国側は日本の暴挙をおさえようと、ABCDラインによる日本の孤立化をはかった。対アメリカ政策の行きづまりで近衛内閣は倒れ、代って軍部独裁の東条内閣が成立した十六年十一月二十五日、アメリカはハル・ノートによって日本が中国から手を引くよう要請した。が、すでに日本の機動部隊はエトロフをめざしていた−−ーこうして十二月十日が来た。ハワイを奇襲。我々は滅亡への道へふみ切ったのだ。マレー作戦。将軍山下の指揮下に日本軍はシンガポールを陥落させた。が、この最初だけの勝利にしても、その陰にどれだけたくさんの兵士の死があったことだろう。ジャワ沖海戦、ジャワ島上陸、セレベスの落下傘部隊攻撃。日本はラングーンへ手をのばした。−−四月十八日にアメリカ空母ホーネットから飛び立ったアメリカ機が東京を初空襲した。これが歴史の曲り角の前兆だったようだ。フィリピンのバタン半島からコレヒドール陥落までも記録されている。日本の連合艦隊はミッドウェー沖でアメリカの手痛い反撃を食った。日本は北はアリューシャン、南はサンゴの広大な占領地域をもて余し始めた。あとは消耗戦だけである。ソロモン海戦、ラバウル戦、ガダルカナル退却。この頃から特攻機の姿が目立った。国内では“学徒出陣”が強制され、若者たちが戦場へ連れ去られた。十九年七月七日、サイパン全滅。東条内閣に代って小磯・米内協力内閣成立した。比島沖海戦では連合艦隊はほとんど壊滅した。三月、硫黄島での玉砕。国内は連日空襲が続き、八月六日広島、八日長崎と原爆が落され、ついに日本は無条件降服したのである。


解説

戦時中のニュースを独占している日本ニュース・短篇の過去のフィルムと、米英のニュース、および未公開フィルムを編集した長篇戦争記録映画。それらのなかから四万呎ほどピックアップし、結局七六〇〇呎にまとめたという。構成・編集は岡田弘。解説は芥川比呂志。作曲は別宮貞雄。


配給東宝
制作国日本 (1958)
ジャンル 

1958年07月29日より



スタッフ

構成
製作
録音
編集
作曲
編曲
解説
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